1973年

明和食品のはじまり

明和食品は昭和48年に私の父(現:会長)が、給食用の「タレ漬け肉」の製造を行う会社として産声をあげました。
その当時、私はまだ生まれていませんでしたが、父が製造、営業、納品に周り、母が家で姉をおんぶしながらタレを炊いていました。夫婦二人三脚ではじまった会社ですが、働き者の二人のがんばりで徐々にお得意先様が増え、ついに貸工場を借りての「工場での製造」になりました。私はそんなときに幼少期を過ごし、事務所で遊んだり、袋詰の一部を手伝ったりしていたので、働く両親の背中を見て育ちました。

無添加食品への転換

順調に取引先が増える最中、ある葬儀場で父が知り合いの方と話をしていたときのこと・・・。
「昔は葬式のときに腐敗臭を消すために線香炊いてたんやで~」という何気ない雑談。
この話自体があっているか、間違っているのかは別として、父はこの時「防腐剤などは自然にあるものではない。人工的に作られたものは体内に蓄積してしまうのでは?」という疑念を抱きます。本当に安心して食べられるもの、子どもたちにも食べさせたいもの・・・。私たちは作っているのだろうか?
この思いが日に日に強くなり、ついに決心します。

「この工場から、防腐剤・着色料・化学調味料などの添加物は一切排除する!」と。

その日から目も回るような試作の日々、そして原材料集めの日々が始まります。
これまで化学調味料で簡単にまとまっていた商品の味も、ほんの少しバランスが崩れるだけで味にトゲがでたり、物足りなかったりします。品質の向上には冷凍技術の向上も必要です。
こういったことをひとつひとつ重ねていき、新しくリニューアルされた商品が、ついに出来上がりました。

ですが、本当の試練はここからだったのです。当時、「無添加食品」と言うのは一般的な認知も低く、そもそも求められていませんでした。スーパーのバイヤーからは「そんなすぐに腐るもの、置かれへん」と一蹴され、既存の給食会社からは、「そんなことしなくていいから、もっと安くできひんのか」といわれ、その時代とのギャップに悩まされます。
そうして、大阪市内にも進出していた営業所を閉鎖。大阪狭山市の工場のみに規模を縮小し、これまで営業経費としてかかっていた事務所費や営業車、営業マンの人件費を商品製造にかかる技術や材料費にあてこみ、さらなる品質向上を図ります。
そこから、少しづつではありますが、商品を気に入っていただける取引先、品質の良い商品・サービスをしたい取引先が増え始め、軌道に乗り始めます。

通販事業への参入

そうして、主には商社を通じて飲食店さんや生協さんなどへの商品の流通がメインとなっていた、2000年初頭、狂牛病(BSE)が世間をにぎわせます。とたん、これまで順調だった商品群のキャンセルが相次ぎ、2週間先まで決まっていた製造の予定が白紙になり、工場は騒然とします。工場の製造はもちろんストップし、掃除ばかりの毎日が続きます。パートさんたちには休みを増やしてもらい、工場の社員(私も含め3人)は、経験のない営業活動に出ます。ひたすら飲食店に飛び込み、商品の説明を繰り返します。付け焼き刃で行った営業活動、なかなかうまくいきません。
このときの、製造するものがない閑散とした工場、焦りから空振りばかり続く営業活動の想い出は忘れることはありません。
そうこうしている間に、インターネットを使った通信販売を開始させます。私が担当することになったのですが、事務所にも場所がありませんので、自宅の倉庫にこもり夜な夜なパソコンと格闘する日々が続きます。
インターネットの知識もなかった私は、時間を見つけては、タイピングの練習をしたり、いろんな方に教えを乞いながら、少しづつ通販を形にしていきました。

お客さまに助けられた、通販過渡期

受注作業なども一人で行っていた当初、常連様と呼ぶべき方たちがいました。佐賀県のS様、三重県のK様、滋賀県のK様、福岡県のO様、他たくさんの方がいらっしゃったのですが、名前を聞くだけで、どんなお客様で以前はどんなものをお求めだったのかがわかります。
この方たちがなにかあると、お電話やメールで、「これはおかしいんじゃないの?」や「ここはこうしたほうがいいよ」といつも親身にアドバイスをしてくださったおかげで、徐々に通販の売上も伸びていき、月に3~4,000件の受注をいただくまでに成長しました。
また、弊社の商品を非常に気に入ってくださったお客さまが、雑誌編集者に口コミをしてくださったり、生協バイヤーに「大阪の味ゆうぜんの商品を取り扱ってほしい」とリクエストいただいたおかげで、メディア露出や、販売先も増えていき、最終的にはテレビ朝日(全国放送)や、NHKにも取り上げていただきました。

仕事の引き継ぎ、そして思い

順調に仕事も推移していき、私が通販と卸の営業を行っているといろいろな相談が舞い込んできます。ですがそのほとんどは、「常温発送できるようなら、数万食は発注する」や「コンビニ弁当で使いたいので、ph調整して48時間の日持ちを確約してほしい。できるならば月に数万食」などです。メディア露出が増えたこともありハンバーグの製造元として、有名企業からもさまざまな紹介やご縁で弊社に依頼が舞い込みます。
それらの依頼のほとんどは、添加物の力を必要とするため、弊社ではすべてお断りしています。「売りやすさ」を優先すると、日持ちが絶対条件になります。
私たちは「売りやすい商品を作るのではなく私たちが、子どもたちが、そして安心なものを食べたいお客さまたちが食べたい商品を作る」のです。
今、私には人生をともに歩む家内と3人の子供がいます。家族みんな、弊社のハンバーグが大好きで、「パパ、またハンバーグ持って帰ってきてな!」と笑顔で抱きついてきます。
私は、美味しそうにハンバーグを頬張る子どもたちの笑顔を見ながら、絶対に自信を持って子どもたちに食べさせられる商品を作ろうと、いつも思います。
また、子どもたちが大きくなった時、恥じることなく、胸を張って一緒に仕事ができるようになりたい。そして、地域の方たちにも「あの会社で働くことになったの?よかったね~」と言っていただけるような優良な会社でありたいと思います。

ハンバーグ 写真

これからの約束

これからも私たちは、化学調味料や保存料、着色料などの添加物は一切使用せず、素材に素直に。そして美味しい商品づくりを続けていきます。
また、製造メーカーの役割として「安心・安全」を掲げ、地域にも必要とされる会社となります。
海外加工の冷凍食品や、水増し増量されたような食品には価格的に対抗できないかもしれません。
ですが、正直な商品づくりや味で、皆様のお役に立てるように一生懸命頑張ってまいります。

50周年記念商品